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15.12.03(Thu)

“ジャズらしさ” が壊れるとき 〜 ピアニスト 高木里代子のブレイクが意味するもの

熊村 剛輔

熊村 剛輔サックス奏者/ライター

Being Jazz―― 時には Jazz の括りを越えながら、歴史的なド定盤から、現在進行形のライヴまで、グルーヴ感あふれるサウンドを幅広く発信。

TheIntro

  昔、ジャズミュージシャンの間で “シャリコマ” という単語が使われていたことがあったらしい。

 ”らしい” と書いたのは、自分自身、この世界に足を突っ込んでいて、リアルに聞いた経験がほとんど無かったりするからであって。

 ここで言うシャリコマとは、シャリ少なめの寿司 (検索すると、これが一番ヒットする) ではなく「コマーシャル (コマーシャリズム)」という意味。つまり「売れセンを狙って、耳あたりの良さやわかりやすさ、あるいはビジュアル性を求めたりする」というやり方そのものを指す。ところが、この売れることを良しとするやり方は、少なくとも昔は、あまり良い方向には受け入れられなかったらしい。簡単に言えば「カネのために魂を売った」というような評価をされてしまうわけだ。

 これは、かつてジャズが “体制” に対する “反体制” 的な音楽と位置付けられていた文脈と同じような構造のようにも思える。つまり “コマーシャル (商業的)” なものと対義的な存在としてジャズが位置付けられていた、という点が大きい。

 ただそれは、言ってしまえば “やっかみ” でしかないし、聴いている側が作り上げてしまったステレオタイプでもあったりする。そして演っている側は、いつしか、それを “エクスキューズ” にしていたのかもしれない。本音を言えば、演っている側の多くは、やっぱり自分の音楽を、多くの人に聴いてもらいたいし、売れる (求められる) ミュージシャンでありたいのだ。

 そういった点で、今年の東京 Jazz で一気にブレイクしたピアニスト 高木里代子は、これまで凝り固まっていた、悪い意味での “ジャズらしい” 概念を一気にぶっ壊してしまったのかもしれない。9 月 6 日、今年の東京 Jazz の最終日、水着姿でライヴを行った彼女は、そのインパクトあるステージをきっかけに、急激にメディアへの露出を増やしていった。そして、それに伴う形で彼女が発信しているサウンドも評価され始めている。それは、見た目のインパクトではなく、きちんとした実力に裏打ちされた結果だろう。

 1ヵ月ほど前にリリースされたミニアルバム『THE INTRO!』を聴くと、彼女が決してインパクトだけのプレイヤーではない、ということがよくわかるはずだ。そのパフォーマンスといい、サウンドといい、言ってみれば、これまでの “ジャズらしさ” を壊して、新しいジャズとの接点を創ろうとしているようにも見えるだろう。

 筆者は、1 年ほど前に、ふとしたきっかけで、一緒に音を出させてもらったことがあるが、その時に感じた強烈なドライブ感と音の選び方のセンスは、ものすごく印象的なものだったのを覚えている。そのルックス、そして突然ブレイクした背景といったところだけに注目するには非常にもったいない。おそらく、これからのジャズ・シーンの中で、ますます強い存在感を見せるアーティストになるはずだ。

Tag: Jazz / TOP / アルバム