16.09.05(Mon)

ハンガリーの日本食「大吉」

熱田 護

熱田 護写真家

モータースポーツは、楽しっ!―― モータースポーツを中心に自動車やバイク、写真などについて紹介。

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ブダペストの有名な鎖橋を渡り王宮の下の長いトンネルを抜けて少し進んだところに、日本食レストラン「大吉」がある。

「おたくの会社ごと、この大吉には出入り禁止!」

15人の予約をして店に来たのが8人。7人の穴が空くわけ。
幹事を呼んで、「なんで来ない人数をあらかじめ電話してくれないんですか?外でたくさんお客さんが待っているんですけれど?」
「いくら払えばいいんですか?」
「そうか、じゃあ1,000万払いなさい!あなた幹事さんでしょ?会社でもそういう仕事のやり方をしてるのかな?」

しばらくすると、噂が回り回って、常連のお客さんの間で、常連のお客の間で大吉のオヤジが会社ごと出入り禁止にしたらしい……
「飯尾さん、そうでなくっちゃ」
そんな、はっきりとした飯尾さんの物言いに惹かれて、この「大吉」に通う常連客は多い。


「俺に先に料理もってこい!」

日本大使館の天田さん(仮名)という公使がきて、俺に先に料理をもってこいというわけだ。
ハンガリー人のウエイターがあまりに強く言われて、泣いてこちらに来た。それを聞いて、飯尾さんは烈火のごとく怒る。当然怒る。 「お前、今から帰れ!でも食ったものは金払って帰れ!もう出入り禁止だ!」

そしたら、二日くらい後にまた天田さんがやってきて、またウエイターが泣いて飯尾さんの元にやって来た。
「どうした?」
「今回は謝りに来た……嬉しくて泣いた……」
「なんと言ってきたの?」
「I am awfully sorry to hurt you. あなたを傷つけて本当にごめんなさい」

偉くなればなるほど、なかなか自分の非を認めて謝りには来れないと思うのに、それを謝りに来てくれたのが嬉しかった。
その日に話をして出入り禁止は無しにして、毎日来てくれと話す。そしたら毎日のように来るようになった(笑)
天田さんはブダペストに、日本人学校を作って帰ったよ。
僕の大好きな人になった。

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飯尾欽哉
昭和 22年2月3日生まれ
1970年、住友商事に入社
初海外赴任で、1979年から1983年までの4年間ハンガリー、ブダペストに駐在。
ブダペストでの主な仕事は、農薬を中心としたソフト部門全体の貿易と、日本式コメ作り(機械移植栽培技術)導入の手伝い。

田舎を回っている間に、地元の人たちとの触れ合いの中で、ハンガリーの人たちの人の良さに感銘を受ける。

帰国後、農薬部に配属、4年間東京で、アメリカ、オセアニアを除く世界を相手に仕事をする。
そしてインドネシア駐在、単身で1987〜91年まで。
ここでも農薬を中心に化学品を扱う。

再び東京に戻り、1991〜94年まで関連会社勤務、主に植林等の苗木作りの仕事に携わる。

1994~98年にはポーランド、ワルシャワ駐在。再び単身赴任。
ここでも、農薬関係の会社を立ち上げて、4年。

そして帰国、大阪勤務となり三度目の単身赴任。2年で早期退職。

退職後1年弱、京懐石の東京店で板前の修業をする。

2000年5月末、再びブダペストに行き。念願の日本食料理店の開店準備。
約1年半をかけて、料理店の許認可を取るために費やす。
2001年の12月18日に営業許可を取得、店の改装もできて開店。
2002年2月3日、55歳の誕生日に正式開店。

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なぜ、ブダペストを選んだかというと、最初の赴任地であったのと、何より人が良かったから。昔のハンガリー人は日本人が忘れた、浪花節を持っていて、一所懸命やればやるほど、それに全部応えてくれた。一度も裏切られたこともなかった。
それは、素晴らしい思い出。

昔のブダペストにたくさんいた、あの素晴らしい人たちは、今はいない。
なぜならば、昔は物もお金もなかったから……。
お金が欲しくても、共産党幹部は別としてお金を持てなかった。
普通の人たちは、例えばお金を貯めても物が無かったからどうすることもできなかったわけです。

限界効用逓減の法則ってありますよね。
物欲はある程度のところまでいったら、物があふれたからもういいと諦める。
ただお金は際限がないから、どこまでも欲しくなる、すると心が乱れる。

だから、昔は物が無かった分、人に心があった。
今は、物が溢れて、心がなくなってしまった。
お金を自由に稼げたり、物を買える自由がある今、人をダメにしたということに繋がる。

これが、昔と今の一番大きな違い。

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昔の日本、例えば車。ドイツ、アメリカの車を最初はコピーしたりして頑張って、日本の技術と知恵を加えてメイドインジャパンの車を作った。
スイスの時計をまねてメイドインジャパンの時計を作った。
でもハンガリーは、メルセデスやアウディー、スズキの工場が来ても、そこで努力をして自分たちのブランドを作ろうともしない。給料は単なる生活の手段。できるだけ働かず、給料も休みも多くもらって、たとえ昇進しても部下を使って自分は楽をしようとする。仕事に対する熱意とか、向上心がないわけです。
会社に対する忠誠心などは望むべくもありません。
自分をゲストだと思っている。自分の国を良くするためには、自分たちが働かなくてはならないのにそれをしない。

お隣のオーストリーに行くとハンガリーの少なくとも3倍は稼げるそうです。
だから、一所懸命にやる人はどんどん海外に出て行ってしまう。

社会貢献とか、会社のためとかでなく、あくまで個人の生活を重視する国民性だということ。

世の中がおかしくしなってきたのは、パソコン、携帯、スマホが出てきたあたりからじゃないかと思っています、まあ、独断と偏見ですけど……。

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奥さん、泉さん。
とてもおしとやかで静かな感じの方。
最初の海外赴任のブダペストに泉さんも小さな3人の息子たちとともに移り住む。
「私は、ずっと日本に居たかったし社交的でもないので不安でした」

商社の仕事はどんなに遠くの得意先にも出かけて行き、そこで積極的にコミュニケーションをとり商談をとりまとめるという飯尾さんは、当たり前のように留守が多く、たまにブダペストの自宅に帰ってきても大勢の取引先を家に招待し、日本食をごちそうし、お腹がいっぱいになったら麻雀大会……そんな毎日。

親しくなったお隣の奥様からは
「世界一悪い、夫でお父さん!」と呼ばれ……

96歳の泉さんのお母さんからは、大昔の男だと言われ……
「化石!」と呼ばれ……

そう泉さんから、言われてその横で笑顔でそれを聞いている飯尾さんは、
「男は外。男の仕事に終わりなんかありません!」というのが僕のポリシーだから。
「そんな感じだから、直しようがないです。」と笑顔。

ハンガリーグランプリの翌日、飯尾さんの日産エクストレイルに乗せていただき、ハンガリーの田舎を案内していただきながらこのお話を伺いました。
飯尾さんが運転、助手席に奥様、その後席に僕が座りました。
飯尾さんは、とにかくよく話をされます。
僕が座る後席から前席にいる泉さんの表情が、ちょうどバックミラーに映り、飯尾さんの思い出話をずっと微笑みながら聞いています。

昭和の日本男児を地でいく男、飯尾さんには、昔の女、泉さんじゃなきゃいけないと思います。

「よりによって、私の一番苦手な接客業、料理屋さんをやるんですもの……客商売は、人を選んじゃいけませんよね?この人はすごく選ぶんです。」と泉さん。

「40歳の時に、嫌な取引先とは付き合わないと決めたんです」
だから、今も、気にくわないお客さんには(例えば他のお客さんに迷惑をかけるとか……)、「もう来なくていい!」って本当に言います、と飯尾さん。

「しょっちゅう言ってる!毎日のように言っている!」と笑顔の泉さん。

「だって、嫌な思いまでしてやりたくないでしょ、お金儲けでやっているわけじゃなくて、継続できるだけの利益があればいいわけ……だって、この程度の店でお金が貯まるわけないんだから……せいぜい、1年に2回ぐらいちょっとした旅行に行けて、借金しなくても継続できればいいんだから」
幸い、リーマンショックの前あたりで、持ち込んだお金の元は取れているからね。

「外国で、レストランを経営しているとなると、そのオーナーはお金もちだと勘違いするんですよね。全然そうじゃない。だから、こういうお店っていうのは、儲けているんだという先入観念できている嫌なお客さんがいるんだ」

「例えば、この大吉の後を継がせてくださいという人がいるんだけど、利益が薄くてとてもじゃないけど家族は養っていけない。ババ抜きのババが出るのをわかっていながら、あえてそれを引かせるわけにいかないから、断っている」

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では、大吉をやっていて良かったことは?

「それは、何と言っても、一生懸命仕事を頑張っている日本人のビジネスマンや、スポーツ選手、芸術家、勉学に勤しむ人たちを日本の家庭料理でサポートできることかな!」
「大吉に来て、ホッとしてもらって、よし明日からまたがんばろ〜って思ってもらえるようなお店にするのが僕のやりたかったことだから」
「仕事って、ひとに喜ばれないと楽しくないでしょ?」

では、大吉をやって残念なことは?

「やっぱり人。大吉を始めてから15年で55人もの従業員が変わっている。例えば、大吉で普通に働けるようになるまで、カツ丼の作り方でも最低1週間かかって他のことも含めると1ヶ月はかかるわけです。1ヶ月、半月バンバン止めていちゃう」
「しかも、辞めますって言わない、何も言わないである日突然来なくなる。それをまた新しい人を雇って一から教えなければならないって、もうがっかりの連続なわけ」

「55人のうち円満退職したのは5人しかいない。残り50人のうち半分はクビ!残り半分は、行方不明、脱走……敵前逃亡(笑) 遅刻3回でクビ。言い訳はなし」

「だらしがないんだね……」

これは、僕の性格からして首にしちゃうっていうのもあるんだけれども、首にしなかったらおそらく15年も大吉は続いていなかった。
あとは予約して来ない客。

例えば、ハンガリー人の5人家族。子供の誕生日会。
35分遅れてきた。
入り口で、あなたたちの席はないから帰ってくださいと言った。
父親が烈火のごとく怒り出した。
「うちの息子の誕生日会をどうしてくれるのか?」
「うるさい!だったら、なぜ、電話の1本もできないのか?外にたくさん、お客さんが待っているんだからそのお客さんを入れただけだよ。その人たちの気持ちがわかるか!二度と来るな!」
そしたら、それを見ていたカウンターの日本人駐在員のお客さんから大拍手!
「それ以来、ハンガリー人のお客さんの予約は取らないことにしました。だいたい、ハンガリー人のお客さんの7割くらいは予約時間より遅れてくるから」

100年に一度来る20人の団体観光客を相手にするのか、あるいは、
「飯尾さん、次のアポイントまで15分くらいしかないけれどカレー作ってよ!」
って駆け込んでくる一人のビジネスマンを相手にするのか?

「僕は、一人のビジネスマンを応援します。そこは、一度もブレていません」

頑張って一所懸命にやっている人をサポートしたくてやっているわけだけど、それがね、最近そういうのが少ないんだ! だから、はっきり言って面白くない!」
「元気ない!みんな!」

というのは、最近は本社の管理機能が強くなって、セクハラだパワハラだ!コンプライアンスがどうの!って言って、み〜んな考え方が縮こまっちゃっているわけよ!
たとえ、自分で意見を持っていても言えないような体質になっちゃってるわけよ……それでいて上司は、言えっていうんだけど、上司もさらに上司から押さえつけられているから、全体が縮こまっちゃってるんだね……だから、リーダー格がいないし、育ってこない。 大吉に来て、「ここは半分俺がおごるから、あとは好きにやれや!」とかいうことがなくなったし、そもそも接待も、宴会も少なくなってしまった。
接待するすると癒着するからダメだとかね……歯がゆくてしようがない!!!
「僕が30年間も商社で突っ走ってこれたのは、コンプライアンス違反とセクハラとパワハラやりまくりだったからね!……あ、セクハラはない、ない……(笑)自分じゃあもうできないから、一生懸命やっているひとをサポートしたいわけだけど、いなくなっちゃって、本当に歯がゆい」

そんな大吉を飯尾さんは、去年に閉めようと思った。

「俺はやめようかと思っている」と飯尾さん。

「何言ってるの、一度やり始めたら、途中でやめるのはダメ。
そんな自分勝手に始めて、勝手にやめるとかに振り回されてはかなわないですからね!」
「やり始めたんだったら、倒れるまでやる。それで、夫婦どちらかの体が大きな怪我、重大な病気などで動けなくなった時、赤字続きで経営が難しくなった、その時は、やめる、やめた後は日本でのんびり」
おしとやかな、泉さんが言う。

さらに、一番応援してくれている泉さんの96歳になるお母さんがその話を聞いて
「ブダペストに大吉がなくなったら寂しいし、何より飯尾さんにとって良くない、大吉という仕事がなくなってしまったら、ポックリ逝くか、ボケてしまいますからね、それはやめてはいけない、大吉頑張れ!」

そう泉さんに言われて、何より嬉しかったのは飯尾さんに違いない。

仕事大好きで頑固な男に、自分の気持ちを抑えても支えて続けてくれている女性の存在のありがたさを感じた、今日この頃。
ハンガリー、ブダペスト観光に行ったら是非「大吉」に行ってください!
予約の時間には遅れずに、もし遅れる時は事前に電話、一本!(笑)

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