17.03.18(Sat)

ジョン・サーティースさん

熱田 護

熱田 護写真家

モータースポーツは、楽しっ!―― モータースポーツを中心に自動車やバイク、写真などについて紹介。

ジョン・サーティースさん。
2017年3月10日に呼吸器疾患のため亡くなりました。享年83歳。
2輪WGPでMVアグスタに乗って、7度のワールドチャンピオン、そしてF1でもフェラーリでチャンピオンを獲得した方です。
2輪4輪の世界最高峰カテゴリーで両方のチャンピオンになったのは、現在までこのサーティースさんしかいません。
我々日本人として忘れられないのは、ホンダF1第1期の最後の優勝は1967年がこのサーティースさんによるものだということです。
この写真は、昨年のイギリスグランプリ、シルバーストーンのプレスルームの入り口で撮影しました。


2014年のイギリスGPで2位のボッタス選手にトロフィーを渡すサーティースさん。


2013年のイギリスGPにて。
後ろの二人の女性は、おそらくジョンさんの娘さんだと思います。

実は、1993年9月にGPXというF1雑誌の取材で、ジョン・サーティースさんのイギリスのオックステッドにあるご自宅にお邪魔したことがあります。
その時のインタビュワーは、ホンダの第1期F1監督の中村良夫さんでした。
そのご自宅は、広い敷地に大きな母屋があって、奥さんと3人の子供達が迎えてくれ、ランチをご馳走になった後にジョンさんと中村さんの対談が始まったような記憶があります。
しばらく、その対談風景の写真を撮った後、3人の子供たちが何故か僕になついてくれて、外にあったブランコをしたり、おいかっけこをしたりヘトヘトになるまで遊んだのを懐かしく思い出します。
その時の3歳くらい男の子が、ヘンリー・サーティース。2009年彼が18歳の時にF2のレース中に亡くなりました。
お父さんとしては、どれほどの悲しみだったのでしょう……ジョンさんの帽子、胸にあるのが、ヘンリーさんのヘルメットデザインです。

もともとジョンさんと中村さんは、監督と選手という関係で共に戦ったわけですから自然と話が弾んでいたようでした。
1993年というのは、ホンダが撤退しウイリアムズとルノーエンジンが抜きん出て速く、セナ、プロスト、マンセルの時代です。
中村さんが書いたものを今読み返してみると、ジョンさんも中村さんもF1の将来が非常に心配だったようです。

ジョンさんの言葉として……

「レギュレーションは、年々愚かなものになってきたと思いませんか?60年代までは2.5l(過給は750cc以下)突然みんな、これでは危険すぎると言い出して、1.5lで非スーパーチャージドエンジンに変わり、その次は3l自然吸気か、1.5lスーパーチャージが出てきて、今度は金がかかりすぎるという話になって88年からは3.5l自然吸気エンジンに変わった。……全て、狂気の沙汰ですよ」

この、狂気の沙汰は、結局その後も繰り返してきたわけですね……2017シーズンも車体の大きなレギュレーションの変更がありました。

「ジャーナリズムは長い間、建設的な活動をするよりも、むしろ破壊してきた。それは彼らがろくな知識を持たないからです。批判はやさしいが、その批判が建設的であるのは難しい」」

ごもっともなご意見……
中村さんの言葉として……

「これまでもF1グランプリは多くの節目で、いろんな変化を体験してきた。技術の進歩変化は当然であり、F1グランプリを取り巻く国際環境が一定不変ではないことも当然の変化を要求するからである。
ただし現在迎えようとしている変化は非常にドラスティックである。
グランプリに勝つための技術は、そのまま放置されればF1グランプリを人間のやるスポーツからロボットたちの競演に姿を変えてしまいかねないし、莫大なあまりにも莫大なスポンサーからの金・金・金は、F1グランプリを一つのコマシャール・ショーとして終わらせてしまいかねなくなってしまった」


残念ながら、中村さんの心配はある意味、現在F1の姿に重なるところがたくさんあると思います。

せっかくですので、中村さんとの思い出を少し……
この、GPXのための取材で、グランプリとグランプリの間に中村さんとライターの柴田さんの3人であちこち取材に出かけました。
その取材でいろんなお話を聞かせてもらいましたが、やっぱり本田宗一郎さんとの関係については、今、世間で言われているように、宗一郎さんについては技術者としては全く尊敬出来ないが、人間としては素晴らしい人だったと言ってました。
F1でも空冷にしていなければ、ジョンさんともっと勝てたはずだと、ものすごく悔しそうにしてましたね……。
あとは、戦時中は航空機のエンジンの開発をしたそうで、そこでのお話。
「誤解を恐れずに言えば、戦争というのは、技術者として最高の仕事場であると思うのです、ですから、戦争をすれば工業製品の質は飛躍的に上がります、技術者は国を挙げて最高のものを求められてそれに応えようと日々没頭できるのですからね…… でも終戦前には、ろくな燃料がなかったような状況でしたから実験すらできませんでしたけどね……」などと、モナコグランプリのために泊まっていたメントンにあるホテルの近くの中華に中村さんと二人で行ったことを思い出しました……。
1994年12月に中村さんは亡くなるのですが、入院していた病室にお見舞いに行った時に
「熱田さん、いいところに来てくれました!マルボロを買ってきてくれませんか?」
ダメです、困ります。
「何を言ってるんですか、頼みを聞いてくれないんですか、お願いしますよ」
と少年のような笑顔でお願いされて、いやとは言えず…… 買って渡した赤いマルボロの箱を渡した時の中村さんの表情が忘れられないです。
すぐに、引き出しにしまってましたけど、その後、多分吸ってないんだと思います。

例えば、今のF1の状況を知ったら、一体どういうリアクションをするんでしょうね……
きっと目をまん丸にして、怒り出すか、笑いだすか、呆れるのか……とにかく話が止まらないでしょうね。


ジョン・サーティースさんのご冥福を祈ります。
中村さんと天国でF1談義を楽しんでください!

出典:F1グランプリ全発言「完結編」山海堂

https://www.mamoru-atsuta.com

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